猫とおえかきと東京巡り

愛猫の写真とイラスト、時々東京観光も書きます

ひゃくにゃんいっしゅ

『ひゃくにゃんいっしゅ』六十六、前大僧正行尊(さきのだいそうじょうぎょうそん)

平安後期の僧で歌人。第67代三条天皇のひ孫で天台座主。 一人で山にこもり修行をしている時の、孤独を歌ったものである。 猫だけがいる山に一人で過ごす、今はむしろ憧れます。

『ひゃくにゃんいっしゅ』六十五、相模(さがみ)

平安中期の歌人。 義父は坂田金時(金太郎)等、四天王を携えて活躍した武士の源頼光。 相模守の大江公資の妻となったが離婚後、多くの男性との恋の噂が絶えなかったという。 猫が寄り添っていた為涙を受けていたそうです。

『ひゃくにゃんいっしゅ』六十四、権中納言定頼(ごんちゅうなごんさだより)

平安中期の公卿・歌人。 位は高かったが少々軽い部分があり、60番小式部内侍をからかった逸話が残されている。 代木とは、魚を捕る為に川に仕掛けた籠を留める杭のこと。 朝になると猫が川に集まってきて魚を捕るんだそうです。

『ひゃくにゃんいっしゅ』六十三、左京大夫道雅(さきょうのだいぶみちまさ)

平安中期の歌人。 関白藤原道隆と54番・儀同三司母の孫であり内大臣藤原伊周の息子。 三条天皇の第一皇女・当子内親王と密通した為、家柄の割には官位は低く出世はしなかった。 猫は人が知らない様々な事を知っているので、秘密の恋も人々の想いもわかってい…

『ひゃくにゃんいっしゅ』六十二、清少納言(せいしょうなごん)

平安中期の女流作家で歌人。枕草子の作者として有名。42番清原元輔の娘で36番清原深養父は曽祖父。 藤原行成が清少納言の元に通ってきたが、明け方になる前に物忌みを理由に帰ってしまい、その後鳥の鳴き声にせかされたから帰ったのだという内容の文を清少納…

『ひゃくにゃんいっしゅ』六十一、伊勢大輔(いせのたいふ)

平安中期の歌人。49番大中臣能宣の孫。 奈良から宮中へ献上された桜を受け取る大役に抜擢された伊勢大輔が、藤原道長から言われ即興で返した歌である。 猫が沢山いた為に猫の都と言われる幻の都が、あったとか。

『ひゃくにゃんいっしゅ』六十、小式部内侍(こしきぶのないし)

平安中期の歌人。56番和泉式部の娘。 当時、小式部内侍の歌が優れていた為に母の和泉式部が代作したのではという噂があり、歌会で64番権中納言定頼に、「(天橋立のある丹後に赴いていた母に代作を頼むため)母へ手紙を送りましたか」とからかわれた時に返し…

『ひゃくにゃんいっしゅ』五十九、赤染衛門(あかぞめえもん)

平安中期の歌人。赤染時用の娘で名前は父の役職にちなむ。紫式部や和泉式部と同じく中宮彰子に仕え、藤原道長の繁栄を描く「栄花物語」の作者と考えられている。 明け方に活発に動く暁の猫。人々の時計代わりになっていたとか。

『ひゃくにゃんいっしゅ』五十八、大弐三位(だいにのさんみ)

平安中期の女流歌人。紫式部の娘。母と同じく中宮彰子に仕え、夫の役が太宰大弐正三位であった為この名前で呼ばれる。本名は藤原賢子(ふじわらのかたこ) 猫が通っても笹の音がカサカサと聞こえてきます。

『ひゃくにゃんいっしゅ』五十七、紫式部(むらさきしきぶ)

平安中期の歌人・作家。 幼いころからの才女で一条天皇の妃である中宮彰子に仕えながら『源氏物語』『紫式部日記』を執筆した。 この歌は幼馴染に再会したがゆっくり話もできずに、帰られてしまった寂しさを歌ったものである。 大量に集まり月を隠すイタズラ…

『ひゃくにゃんいっしゅ』五十六、和泉式部(いずみしきぶ)

平安中期の歌人。美人かつ才能に恵まれていたが恋多き女性であり、仕えていた中宮・藤原彰子の父藤原道長や同僚の紫式部からは軽い女と評される。 この歌を送った時は病の床にあったが、相手が誰なのかは不明。 自分もあの世に行く前に、あの猫にもう一度会…

『ひゃくにゃんいっしゅ』五十五、大納言公任(だいなごんきんとう)

本名は藤原公任で平安中期の歌人。64番藤原定頼の父。 とても才能に恵まれた人物で、宮中の評価が高く漢詩や弦楽等もこなし、様々な著作を記している。 猫達の声が評判でしたが、崖は危険なので猫達は別の場所に移動させられたそうです。

『ひゃくにゃんいっしゅ』五十四、儀同三司母(ぎどうさんしのはは)

平安時代中期の歌人で本名は高階貴子(たかしなの きし/たかこ)通称名は三男・藤原伊周の役職名儀同三司(今でいう副大臣)による。 娘の一人に一条天皇の皇后となる藤原定子がいる。 子の伊周や隆家は権力争いに敗れ左遷され、自身は病を患い息子達を案じ…

『ひゃくにゃんいっしゅ』五十三、右大将道綱母(うだいしょうみちつなのはは)

平安時代中期の歌人。本名は不明でとても美しい女性であったという。藤原兼家の妻で、結婚生活の事等を書いた蜻蛉日記の作者。 別の女性の元へ行ってしまった夫への、寂しさを綴った歌と言われている。 一人の夜も、子猫といれば少しは寂しさが紛れそうです。

『ひゃくにゃんいっしゅ』五十二、藤原道信朝臣(ふじわらのみちのぶあそん)

平安時代中期の貴族で歌人。太政大臣・藤原為光の三男で、藤原兼家の養子となる。 和歌の才能に秀でていたが23歳で死去する。 明け方にやってくる猫、あかつきの猫。この猫が来ると人々は朝がやってきたことを嘆き、また朝廷に行かねばならないとため息をつ…

『ひゃくにゃんいっしゅ』五十一、藤原実方朝臣(ふじわらのさねかたあそん)

平安時代中期の貴族で歌人。 左近衛中将まで上り詰めたが一条天皇の面前で藤原行成と口論になり、陸奥国へと左遷させられその地で死去した。 様々な女性と恋愛経験があり、清少納言もその一人であったという。 伊吹山ということであえて白鳥も描いてみました…

『ひゃくにゃんいっしゅ』五十、藤原義孝(ふじわらのよしたか)

平安時代中期の貴族で歌人。45番謙徳公の三男で父親と同じく容姿端麗であったという。 天然痘により21歳の若さで死去した。 猫と気持ちが通じ合ったとき、この子の為なら長生きをしなければと思ったのです。 前半の五十首が終わりました。この歌は中学の時に…

『ひゃくにゃんいっしゅ』四十九、大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)

平安中期の歌人で伊勢神宮の祭主。61番伊勢大輔の祖父。 失恋の歌とされるが能宣が作成した歌ではないという説もある。 宮中を守る猫。ただし飽きが早いらしいです。

『ひゃくにゃんいっしゅ』四十八、源重之(みなもとのしげゆき)

平安中期の歌人で第56代清和天皇のひ孫。帯刀舎人を務め(武器を持ち皇太子の警護の任務に当たった下級官人)、その後信濃や肥後など地方官を歴任した。 荒ぶる猫達。波に八つ当たりを仕掛けます。

『ひゃくにゃんいっしゅ』四十七、恵慶法師(えぎょうほうし)

平安中期の歌人・僧。播磨(兵庫県)国分寺の僧であったとされる。歌会で活躍し、42番・清原元輔らとも交流があったと言われている。 寂しい家こそ、猫にとっては居心地のいい隠れ家になるのです。

「其のまま地口 にゃるのうち線」19.淡路町(あわじちょう)/わらじにゃあ

草鞋を発見した猫。 浮世絵では旅人や商人が履いている姿がよく描かれています。しかし現代の、アスファルトを歩くには向かないとのこと。

『ひゃくにゃんいっしゅ』四十六、曾禰好忠(そねのよしただ)

平安中期の歌人。丹後掾。変わり者かつ自信家であった為、社交の場では馴染めなかったという。 地位も高くはなかった為、意中の女性に思いを伝えてもかなわぬ事を描いた歌と言われている。 猫に船頭を任せた時点で漂流決定ですね。

『ひゃくにゃんいっしゅ』四十五、謙徳公(けんとくこう)

平安中期の公卿・歌人で右大臣藤原師輔の長男。自身も摂政・太政大臣まで上り詰めた。本名は藤原 伊尹(ふじわら の これただ)。 才色兼備の実力者であったと言われている。 猫に振られた人再び。猫が見向きもしなくなった辛いのです。

『ひゃくにゃんいっしゅ』四十四、中納言朝忠(ちゅうなごんあさただ)

平安中期の歌人。本名は藤原朝忠(ふじわらのあさただ)。25番三条右大臣の五男。恋愛経験豊かな人物であり、38番右近も恋人の一人であったという。 前回43番の歌に次いでこの歌を収録したのは、故意であるという説も。 猫にそっけなくされたら辛いです。

『ひゃくにゃんいっしゅ』四十三、権中納言敦忠(ごんちゅうなごんあつただ)

平安中期の歌人。本名は藤原敦忠で、美形かつ恋多き人物であったという。琵琶の名手で琵琶中納言とも呼ばれていた。 愛しい女性と過ごしたから、その女性の飼う猫も昔に比べて好きになってしまったらしいです。

『ひゃくにゃんいっしゅ』四十二、清原元輔(きよはらのもとすけ)

平安中期の歌人。36番清原深養父の孫で62番清少納言の父。この歌は失恋した人に頼まれて詠んだとされており、清原元輔自身が体験した事柄ではないようだ。 元輔自身はひょうきんな一面がある人物であったらしい。 縄張りを決して超えない、律儀な猫達がいた…

『ひゃくにゃんいっしゅ』四十一、壬生忠見(みぶのただみ)

平安中期の歌人。 村上天皇の御前で、40番平兼盛と忍ぶ恋をテーマに歌で対決した時に詠まれた歌。平兼盛に敗北し精神的ショックを受け、それが元で悶死したという記録が残っている。 猫は敏感なので、人の気持ちはすぐに察知するのです。

『ひゃくにゃんいっしゅ』四十、平兼盛(たいらのかねもり)

平安初期から中期の歌人。58代光孝天皇のひ孫もしくは玄孫とされるが、家柄の割には官位が低かった為、系譜には様々な説が考えられている。 猫は人の心がわかります。猫なりに心配しているようです。

『ひゃくにゃんいっしゅ』三十九、参議等(さんぎひとし)

平安初期から中期の公卿。参議等は役職名で本名は源等。第52代天皇嵯峨天皇のひ孫。 この歌は古今和歌集にある歌を本歌取り(有名な歌の一部を自作の歌に取り入れる手法)したものである。 猫への想いがあふれてきます。

『ひゃくにゃんいっしゅ』三十八、右近(うこん)

平安時代中期の女流歌人。多くの男性と恋愛関係にあり、この歌では藤原敦忠の事を描いていると言われている。 猫はある分野については忘れっぽいと言われていますが、猫なので神様も許してくれるでしょう。