猫とおえかきと東京巡り

愛猫の写真とイラスト、時々東京観光も書きます

ひゃくにゃんいっしゅ

『ひゃくにゃんいっしゅ』八十九、式子内親王(しょくしないしんのう)

平安末期から鎌倉時代の女流歌人で、後白河天皇の第3皇女。加茂神社に出仕した後、出家したとされている。 百人一首の撰者、藤原定家と恋愛関係だったが身分違いの為叶わぬ恋だったと言われている(諸説有)。 猫も一緒に恋の苦しみに耐えてくれたようです。

『ひゃくにゃんいっしゅ』八十八、皇嘉門院別当(こうかもんいんのべっとう)

平安末期の女流歌人で、77番崇徳院の皇后皇嘉門院に仕えた。生没年は不明だがのちに出家したことが知られている。 この歌は「旅の宿で逢う」というお題で詠まれたものである。 猫達が遊ぶ入り江が有名なんだとか。

『ひゃくにゃんいっしゅ』八十七、寂蓮法師(じゃくれんほうし)

平安後期の歌人で僧。出家前の名前は藤原定長(ふじわらのさだなが)83番皇太后宮大夫俊成の甥。 新古今和歌集の選者となったが完成前に死去した。 霧を作り出す黒猫。雨のしずくなんて気にもしないようです。

『ひゃくにゃんいっしゅ』八十六、西行法師(さいぎょうほうし)

平安後期の歌人。武士であったが出家し日本各地を旅しながら歌を詠んだ。2300もの歌が伝わっている。 その生涯を書いた「西行物語」が残されている。 猫に関連した失恋の思い出があるのかもしれません。

『ひゃくにゃんいっしゅ』八十五、俊恵法師(しゅんえほうし)

平安後期の歌人。74番俊頼朝臣の子。 東大寺の僧で、坊に歌林苑という歌人達の集まるサロンを作り、歌会を開いた。 弟子に方丈記を執筆した鴨長明がいる。 悩んでばかりいて遊んでくれないので、猫もご立腹の様子。

『ひゃくにゃんいっしゅ』八十四、藤原清輔朝臣(ふじわらのきよすけあそん)

平安後期の歌人。79番左京大夫顕輔の次男だが父とは仲が悪く出世もあまりできず、中年以降になり歌の評価が高くなった。 二条院から勅撰集の編纂を命じられたものの、二条院が死去したため撰者にはなれなかった。 猫さんは病気なのかもしれません。今は辛く…

「其のまま地口 みゅ〜央線④」 茅野(ちの)/ちか

超ドアップの近すぎる猫。 この近さは愛猫との、幸せな距離感。

『ひゃくにゃんいっしゅ』八十三、皇太后宮大夫俊成(こうたいごうぐうのだいぶとしなり)

平安後期の歌人・公家で、本名は藤原俊成。百人一首の撰者である藤原定家の父。 皇太后宮大夫は皇太后の財産を管理する役職(現在はその役割は宮内庁が一括)。 鹿も猫も、山の中でひとりでいるのは寂しいと感じるのでしょう。

『ひゃくにゃんいっしゅ』八十二、道因法師(どういんほうし)

平安後期の歌人で比叡山の僧。本名は藤原敦頼(ふじわらのあつより)。この歌を詠んだ時の年齢は90歳。 あまり出世はしなかったが歌会が好きで、出家後も色々な歌会に参加していたという。 猫は心の支え。 叶わない恋に傷ついても、猫が癒してくれるでしょう…

『ひゃくにゃんいっしゅ』八十一、後徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん)

平安後期の歌人で本名は藤原実定(ふじわらのさねただ)。百人一首の撰者である藤原定家のいとこ。 和歌の才能に恵まれ、また教養も高い人物であったという。 明け方にやって来る暁の猫。月に代わってやってきたようです。

『ひゃくにゃんいっしゅ』八十、待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ)

平安後期の歌人。白河天皇の皇女令子内親王に仕え、令子内親王が待賢門院であったためこの名で呼ばれていたとされる。 当時から歌人としても評価が高かった。 黒猫の毛が乱れるほどに、一晩中猫と一緒に遊んでいたらしいです。

『ひゃくにゃんいっしゅ』七十九、左京大夫顕輔(さきょうのだいぶあきすけ)

平安後期の歌人。 崇徳上皇に命じられ『詞花和歌集』(しいかわかしゅう)を編集するなど、歌会で活躍した。 この歌は崇徳上皇へ贈ったものと言われている。 とても美しい情景歌。月を背にした猫の白さも神秘的です。

『ひゃくにゃんいっしゅ』七十八、源兼昌(みなもとのかねまさ)

平安後期の歌人。生没年不詳。宇多源氏の家系で歌会等で活躍したが、あまり出世には恵まれず、その後出家している。 淡路島からやって来る船で猫がきて関所を占拠し、明け方に騒ぎ出すようです。

『ひゃくにゃんいっしゅ』七十七、崇徳院(すとくいん)

第75代天皇。74代鳥羽天皇の子であるが鳥羽天皇の妃・藤原璋子と72代白河天皇との不義の子であるという説がある。 これらの事や政治的な衝突により保元の乱が起こり、敗れた後、讃岐に流されその地で崩御した。 この歌は愛しい人への想いの他、争う事となっ…

『ひゃくにゃんいっしゅ』七十六、法性寺入道前関白太政大臣(ほっしょうじにゅうどうさきのかんぱくだいじょうだいじん)

本名藤原忠通(ふじわらのただみち)平安後期の後期~末期の公卿・歌人。 この歌は崇徳天皇の御前で「海上の遠望」をテーマに詠まれたもの。 しかし後に起こった保元の乱で、崇徳天皇と忠通は敵対する事になる。 波の様に大群で押し寄せる白猫。

『ひゃくにゃんいっしゅ』七十五、藤原基俊 (ふじわらのもととし)

平安後期の公家で歌人。藤原道長のひ孫だが出世には恵まれなかった。 この歌は息子を要職につける約束を76番藤原忠通に頼んではいるものの、それが果たされず、嘆きの心情を詠んだもの。 左右で全然絵が違う物は初めてですね。

『ひゃくにゃんいっしゅ』七十四、源俊頼朝臣(みなもとのとしよりあそん)

平安後期の歌人で71番大納言経信の三男。篳篥(ひちりき、雅楽で使われる笛)の名手で演奏家として活躍した。 この歌は歌会で「祈っても叶わぬ恋」をお題に詠まれたもの。 猫はきまぐれ。なかなか振り向いてもらえない事もあります。

『ひゃくにゃんいっしゅ』七十三、権中納言匡房(ごんちゅうなごんまさふさ)

本名大江匡房(おおえのまさふさ)。平安後期の学者・歌人。59番赤染衛門の曾孫。 学者の家に生まれ文才があり、71代後三条天皇に重用され政治改革のブレーンとして重要な役割を果たしている。 霞の様に白い猫達が、桜の木を遊び場にしているとかいないとか。

『ひゃくにゃんいっしゅ』七十二、祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけのきい)

平安時代後期の歌人。69代後朱雀天皇の三女・祐子内親王に仕えたという事以外は詳細不明。 この歌は歌会で男性は恋文を、女性はそのお断りの文を読むというテーマで歌われたもの。 文の送り主は29歳の藤原俊忠、紀伊は70歳であったという。 猫は水を嫌がりま…

『ひゃくにゃんいっしゅ』七十一、大納言経信(だいなごんつねのぶ)

本名は源経信(みなもとのつねのぶ)。 平安後期の公卿・歌人。 詩・歌・管弦の才能に恵まれ大納言(現代でいうところの内閣官房長官や官僚)まで出世した。 田んぼは猫にとっての遊び場のようです。

『ひゃくにゃんいっしゅ』七十、良暹法師(りょうぜんほうし)

平安中期の天台の僧で歌人だが詳細は不明。 比叡山の別当(総括等を行う管理職)を務めたと言われている。 猫がいても秋の夕暮れは寂しいようです。 「あいうえおほしさま」というポンキッキで昔やっていた歌を聴きながら描きました。

『ひゃくにゃんいっしゅ』六十九、能因法師(のういんほうし)

本名は橘永愷(たちばなのながやす)。 平安中期の歌人で26歳の時に出家。和歌に対して情熱を注いでいたと言われている。 ここでの三室山は奈良県生駒郡斑鳩町にある三室山のこと。 猫達が暴れるので紅葉が落ちてくるようです。

『ひゃくにゃんいっしゅ』六十八、三条院(さんじょういん)

67代三条天皇。父は63代冷泉天皇。 目の病気を患った為に藤原道長により譲位を迫られ、譲位後出家するがほどなく崩御する。 この歌は譲位を迫られていた時に詠んだとされ、その後失明し再び月を見る事も出来なくなったという。 猫も月も見られなくなる。今回…

『ひゃくにゃんいっしゅ』六十七、周防内侍(すおうのないし)

平安後期の歌人。 本名は平仲子(たいらのちゅうし)。 後冷泉天皇に仕えその後も天皇4代に渡り仕えた。 この歌は藤原忠家が腕を差し出し、私の腕枕がありますよ(一晩の逢瀬はどうですか)という誘いをかわしている歌である。 白猫の手はむしろ招き入れたい…

『ひゃくにゃんいっしゅ』六十六、前大僧正行尊(さきのだいそうじょうぎょうそん)

平安後期の僧で歌人。第67代三条天皇のひ孫で天台座主。 一人で山にこもり修行をしている時の、孤独を歌ったものである。 猫だけがいる山に一人で過ごす、今はむしろ憧れます。

『ひゃくにゃんいっしゅ』六十五、相模(さがみ)

平安中期の歌人。 義父は坂田金時(金太郎)等、四天王を携えて活躍した武士の源頼光。 相模守の大江公資の妻となったが離婚後、多くの男性との恋の噂が絶えなかったという。 猫が寄り添っていた為涙を受けていたそうです。

『ひゃくにゃんいっしゅ』六十四、権中納言定頼(ごんちゅうなごんさだより)

平安中期の公卿・歌人。 位は高かったが少々軽い部分があり、60番小式部内侍をからかった逸話が残されている。 代木とは、魚を捕る為に川に仕掛けた籠を留める杭のこと。 朝になると猫が川に集まってきて魚を捕るんだそうです。

『ひゃくにゃんいっしゅ』六十三、左京大夫道雅(さきょうのだいぶみちまさ)

平安中期の歌人。 関白藤原道隆と54番・儀同三司母の孫であり内大臣藤原伊周の息子。 三条天皇の第一皇女・当子内親王と密通した為、家柄の割には官位は低く出世はしなかった。 猫は人が知らない様々な事を知っているので、秘密の恋も人々の想いもわかってい…

『ひゃくにゃんいっしゅ』六十二、清少納言(せいしょうなごん)

平安中期の女流作家で歌人。枕草子の作者として有名。42番清原元輔の娘で36番清原深養父は曽祖父。 藤原行成が清少納言の元に通ってきたが、明け方になる前に物忌みを理由に帰ってしまい、その後鳥の鳴き声にせかされたから帰ったのだという内容の文を清少納…

『ひゃくにゃんいっしゅ』六十一、伊勢大輔(いせのたいふ)

平安中期の歌人。49番大中臣能宣の孫。 奈良から宮中へ献上された桜を受け取る大役に抜擢された伊勢大輔が、藤原道長から言われ即興で返した歌である。 猫が沢山いた為に猫の都と言われる幻の都が、あったとか。